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byできるじゃん

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家族の事

2011年4月 2日 (土)

ピアノがやってきた

長男は以前からピアノのセンスがあって、たいして練習しない割にはすらすらとピアノが弾けた。受験が終わって、ピアノを再開したい上にピアノが欲しいとまで言い出し(いままで電子ピアノだった)中古を探したが、気に入った音、キータッチの感触、大きさがなくて、新品のリーズナブルなものを購入、
うちとしては、とっても贅沢なお買い物、Dsc02468
まぁ、半分は私も本物があってもいいかも と思ったり、自分もまた練習するし、
これで、子どもや家族に情操教育ができるならと思ったり、色々理由をつけて自分を納得させている

長男は思った以上に、本物のピアノの響きにご満悦で、高校生という、反発しがちな年齢の割には喜んで練習しているからちょっとは親も報われるというもの。

Dsc02527早速登って、ここは私のものよと主張するハーちゃん

2010年5月 9日 (日)

母の日

母の日がやってきた、子供達は数日前からどうしよう、何しようと、相談に来る、
そう思ってくれるだけでもありがたやcatfaceと、心で思いながら、
「プレゼントより1日中何にも家のことしないで済むのがいいなー」とかのたまってみるが、
まだ子どもが全部こなすことは出来ないにゃー
Mama
娘がモールで作ってくれたプレゼント( 小2)
いつまでこういうことをしてくれるかな…

2009年12月25日 (金)

今年もサンタが来た

今日は25日、
昨日の夜中にサンタがちゃんと来てくれて、子供らに願いの品々を置いていった。
長男はさすがにサンタが誰なのか気づいてしまっているが、下の二人はまだ知らないようだ
次男は今年はサンタの手紙に「サンタさんは何歳ですか」と質問していた。

去年までは、何か手紙で返事を書いていたけど(英語で)ことしはそれもなし、
昨日の晩なんか、プレゼント用意していたのに、クロゼットに入れっぱなしで、ツリーの脇に置かないでそのまま寝てしまうところだった^^;)
危ない危ない、なんだか必死でサンタさんを作っていた数年前が懐かしい、

長男は小3くらいからサンタを疑い始めた
煙突がないのにどこから入るの?
鍵開けといたら危ないじゃん、
黙ってはいるとドロボーだよ、
今日は絶対起きてて会うんだ  などなど、

次男は今年小4だけど、そういう疑いをあまり持たない。
「ぼくクリスマスプレゼントいらないから誕生日プレゼントに高いもの頼んでもいい?」
といって、11月の誕プレに1万以上のレゴの城を買ったのだけど、
やっぱりサンタにもお願いしたくなって、控えめにハリーポッターの本を頼んだ
読書するならサンタも反対しないよ 

末娘は箱いっぱいのシール
もうひとつ、ネイルアート何チャラとか言うおもちゃもだったけど、
それは却下
でもシールたくさんで大喜びで、かわいいものだ

長男は卓球のラケットだった。体育の授業でちょうど燃えているらしい
うっかり「今年は何を買ってもら…何を頼もうかなぁ」と弟妹のまえで口を滑らしたけど、下の二人は聞いておらず、そのまま黙ってて、「ほんとにサンタはくれるかなぁ」とか、
ちゃんと25日の朝ツリーの脇に置いてあるプレゼントをあけて、「イエーイ」と喜んだり、子供の夢を壊さないやさしい兄だ

私が子供のころは我が家にはサンタはおらず、プレゼントなんかもらったこともないけど、時代なのかなぁとつくづく…
きっとあと数年でどの子らにもサンタが誰なのかわかってしまうだろうけど、それでもサンタのプレゼントは毎年やってくるのだろうな

2009年12月18日 (金)

号泣

1週間くらい前だったかな
引越し後片付けや父の四十九日が終わって、色々疲れていたのだと思うけど、
家は全然片付かなく、子供らの夜の時間の過ごし方がだらけていて、私的にはきりきりしていて、下の子は宿題を寝る前までやらないし、おやつばかり要求して、こっちが仕事の時間削って家事をしているのに、せっかく作った夕飯を誰も食べてくれないという日があったの。
「今お腹すいてないからもう少し後で」
そのときに、今までのためていた疲れがどっと流れ出てしまって、
まぁ糸が切れたというのでしょうか泣き出したら止まらなくなってしまって、
戻ってきた旦那さんが仰天して、おろおろ、
子供らが何悪い子としたんだーと、頭ごなしだから、ご飯のことが全部の理由ではないと言ったけど、あのときは悪いことしてしまったなぁ

理由を考えてみたらこんな感じ
葬式後、実家にほとんど行かれず、さびしがってる母に会いにいけなかった
なぜいけなかったかというと、我が家の工事が完了しておらず、引越しと片付けと、大工やら、工事人の出入りや予定が色々あった。
土曜は子供の塾があるので、食事もあるし留守に出来ない

四十九日が過ぎて、母が温泉でも行きたいねといったとき、「正月はもう予約できないよ」とにべもなく返事をして、その計画を流してしまった。
なのに後日、旦那が「お袋が温泉行きたいって言ってるんだけどどう?」
(だって、今年は家のことで散々お金使ってるから温泉なしって言ってたじゃない!)
でもネットで調べてみて何とか正月過ぎに予約がとれた、
私は自分の母親には温泉宿もとってあげないくせに、義母と旦那の一言でこんなことしてる
何だろう、なにかまちがってないか?
別に義母は悪くない、彼女も一人っきりなのだ、旦那はそれは家族想いで、苦労してきた実母を大事にしている。それはわかっている、
わたしはお嫁さんだ、なので義母を優先しなくてはと考えている。
いままで元旦は実家ではなく、旦那の家を優先してきた。
庶民の我が家は正月に2つの温泉旅行をするほどの余裕はない(気持ち的にも)
だから義母を連れて行ったら、やはり母を連れてもう一度は出来ない
私は母になにもしてあげられない?

などなど、色々な想いがせきをきってしまって、あふれてしまった

大泣きして、旦那に言いたかった心のうちを言ったら、なんだかすっきりした

旦那と義母は温泉をうちの母に譲ってくれて、結局私の母と家族で行くことになった

2009年11月14日 (土)

マスクで音楽会

今日は小学校の音楽会だった。
インフルエンザ騒ぎのため、全員マスク着用
もちろん父兄も
演奏のときのみ はずすという手法、

でもみんなマスクしてたし、観客もちゃんとマスク持ってきてて、
感心してしまった。

音楽会も大成功だったし、(当然ながら6年生の演奏はとてもいい!)
学級閉鎖のクラスもなかった。
happy01note

2009年10月21日 (水)

お父さんありがとう

葬儀後子供のインフルエンザでばたばたしていたけど、昨日旦那と父の話をした。
旦那は誕生会のときに父のベット脇で、こっそり(では無いと思うけど)結婚を許可してもらえたことのお礼を言ったのだそうだ。もう結婚16年もたつけど、当時は反対されてて^^;)結構神経磨り減って(私が)3キロくらい痩せたりとか、(その時ウェスト58cmになったな)
などなど、思い起こすと色々あった。
今まで気づかなかったけど、彼は私の父に嫌われていたということがずっとコンプレックスのようにわだかまっていたのかしら?

それで、機会があったら結婚の承諾をしてくれたことに対して、いま幸せであることと、子供にも恵まれて頑張っていることなど、お礼を言っておこうと考えていたのかもしれない。
父は何も言わず渾身の力で彼と握手をしたそうだ。

私は生きているうちに父にありがとうといえなかったけど、旦那さんが言っていてくれて、ほんとによかったと思った。

2009年10月18日 (日)

タミフルでなくてリレンザ

新型インフルエンザのおかげで金曜日は中学が一斉下校に
息子も土曜から発熱
なんてことだ!15時から英検のテスト、その後父のお通夜、明日は告別式なのに…
どうなるのかと思ったが、
38,5の中テストも受けたし、葬儀にも無理やり参列
帰宅後すぐに休日診療に行って、新型と判明

薬がタミフルとばかり思いきや、10代はリレンザですと。
粉を吸う薬で、縁の無かった私には最新兵器のように思えた。

調べてみたら、タミフルの副作用が取りざたされているので、10代にはリレンザを使う傾向にあるらしい。でもリレンザに副作用が無いわけではないようだ。

通夜と告別式

無事お葬式が終わった
棺に入れる鶴や飾りを孫たちが沢山作ってくれて、華やかになった
みおんのお習字も入れた

いよいよ出棺でもうほんとに肉体が存在している最後の別れのときに思わず「お父さん」とこえを張り上げてしまった。うちの実家の家族は心のうちを言葉にしない人たちだから少し躊躇したのだけど、今言わないと駄目なような気がして、「ありがとう」と続けた
生前にはそんなこと恥ずかしくていえなかったが

私は父を尊敬していた。小さいころ一緒に遊んでもらうというような記憶は無いけど、大きい手とてをつないだ事をよく覚えている。
いつも仕事ばかりで、でも必ず年に数回は家族で車に乗って温泉へ行ったし、私は末娘だったから、上の二人がいなくなってもいつまでも父と一緒に車で出かけていた。
父がゴルフによく通っていたので、宇都宮にあるクラブに行くときは、一緒についていった。
ゴルフ場では何もすることが無く、私はとても暇だったけど、(スケッチや絵を描くのもすぐあきてしまい)それでも父と車で出かけたかった。
精進落としの時兄が「お前は一番甘やかされたよな」とぽつりと言ったのが心に残る
そんなこと意識したことは無かったけど、そうだったのかなと今考える。
上の二人にとっての父は、私の思う父とは違うのかもしれない

戒名 樹徳院

2009年10月16日 (金)

将来は娘に代筆

1年の娘が学童で始めて毛筆を習った。Niji2_2
学校では習字は3年からなのだが、はじめてにしては立派に書けている。
いやうれしい!
とにかく字が下手なのが私のコンプレックスで、左利きだからと言い訳をしてきたけど、
上の子の担任のI先生は左利きでも凄く綺麗な字を書くので、左利きだから字が下手というのは理由にならないということが判明したのだ。
将来娘に何でも書いてもらおうっとwink

2009年10月15日 (木)

納棺

葬儀まで3,4日間が空くので自宅に安置していた父も納棺して斎場の冷蔵庫に保管することになった。旅装束の父の伽半などの紐を一人ずつ かた結びにしていく
ほどけないように結びきる

そういえば昔ラップスカートの腰紐を前でリボン結びにするところを後ろで長さが足りないのでかた結びにして着ていたら、スーパーで見知らぬおばあさんがいきなり後ろから手を出してきて、「これは死人が結ぶやり方だよ」と教えてくれたことがあったっけ。
そのときは結びきりが縁起が悪いとはしらなかったな 二十歳ぐらいのときだったと思う

そんなことを思い出しながら棺に折り紙の鶴など入れて斎場まで行った
地下の冷蔵庫は30個くらい並んでいただろうか

よくドラマで検死体が保管されているような冷蔵庫と同じみたいと思った
お通夜まで父はそこで待つ

夕方マンションに行った
父が死んでから初めて父が毎日過ごしていた場所に探し物を取りに行ったのだが、
いつも父が座っていた座卓がそのままの状態で置いてあり、『ああ、もうここにお父さんが座ることは無いのだな』と思ったとたん また涙があふれた。
人は皆思うはずだ。なぜもっと沢山一緒に過ごしたり話したりしなかったのだろうと。
もう二度とそこで会話をすることは無いのに…
今年のお正月も「これが最後かもね」なんて冗談交じりで話していた父
父は東京、私は横浜で通えば1時間足らずだが、普段は私にも家族がいるのでめったに会いに行ったりしない。私は何もしていない。いつも、いつも何もしていない。
そしていつもこうやって悔恨だけが残るのだ

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